ウィル・ロジャース

ウィリアム・ペン・アデア・ロジャース(William Penn Adair Rogers 1879年11月4日生)
 [アメリカ・作家/俳優]



 オクラホマ州自慢の息子として知られるロジャースは、インディアン準州の著名な家庭の子として生まれた。世界中を3度も旅し、71本の映画(50本はサイレント、21本はトーキー)を作った。全国紙に4000本以上のコラムを書き、世界的に有名な存在になった。1930年代半ばまでにロジャースはアメリカの人々に敬愛され、当時のハリウッドではギャラが最高級の映画スターとなった。

 1935年、ロジャースは新聞のコラムのための新しい材料を探すためにアラスカを飛んでみたいと、友人である飛行士のウィリー・ポストに頼んだ。ロジャースとポストは8月初旬に小型飛行機でベガのシアトルを出発した。8月15日、彼等はアラスカのフェアバンクスからポイントバーローに向けて出発した。ポイントバーローまで数マイルになった時に、悪天候のために飛んでいる位置が分からなくなり、方向を聞くために潟湖に着水した。しかし、離陸のときに低高度でエンジンが止まり、操縦不能に陥った機体は浅い潟湖で裏返しになって墜落した。二人とも即死だった。

 オクラホマ州では多くの場所や建物がロジャースに因んで名付けられている。生誕地はオクラホマ州ウーロガーの2マイル東にある。ヴァオクラホマシティのウィル・ロジャース・ワールド空港はロジャースに因んで名付けられている。またタルサとミズーリ州ジョプリンの間の州間高速道路44号線の部分として知られるウィル・ロジャース・ターンパイクも同様である。

 1935年8月15日死去(享年55)