河合義隆

河合義隆(かわいよしたか 1947年1月18日生)
 [映画監督/演出家]



 新潟県出身。錦城高等学校卒業後の1965年、フジテレビに入社。若くしてディレクターに抜擢された後はドラマ制作に活躍。その後、独立して制作会社、「ティンダー・ボックス」を設立した。1985年にはTBSのドラマ 『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』の演出に携わったが、これは女優・荻野目慶子との不倫関係が始まる契機ともなった。当時20歳だった荻野目と知り合い、熱心な演技指導を続けているうちに交際が始まった。河合には当時、妻と長男がいた。河合は翌年、武田鉄矢主演の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』で映画監督デビューした。

 交際3年目となった1988年、荻野目は両親の家を出て一人暮らしを始めた。その頃から河合は荻野目のマンションに入り浸るようになった。半同棲状態となった二人は、一度は結婚を決意したとも言われたが、1989年春頃には2人の関係が河合の妻にも知られるところとなり、波乱状態になったという。不倫関係がおよそ5年に及んだ1990年4月30日、東京・世田谷区南烏山の荻野目の自宅マンションで首吊り自殺死しているところを、帰宅した荻野目に発見される。台所とリビングの間のドアにマフラーをかけて首を吊っていた。警察に事情聴取された荻野目は、「私から別れ話を持ち出したら、河合は『別れるぐらいなら死にたい』と言っていた」と涙ながらに語った。河合は自殺する前日まで、同月にクランクインが予定されていた映画『もうひとつの原宿物語』の台本執筆で新宿の旅館に宿泊していた。メーンのキャストが決まっていたにもかかわらず、突然「荻野目慶子を使いたい」と言い出したこともあった。

 その後、マスメディアに大きく取り上げられた荻野目は精神的苦痛を訴え、将来に絶望したことがあったが、翌年には映画監督・深作欣二の勧めなどで出演した映画、『いつかギラギラする日』のヒロイン役で再び脚光を浴びた。しかし、この映画をきっかけに今度はおよそ35歳年上であった深作欣二との不倫関係になり、2003年に深作が前立腺癌で死亡する前後の顛末も含めて、これもワイドショーをはじめとするマスメディアに大きく取り上げられた。荻野目は2002年、これら2件の不倫愛を含むこれまでの恋愛などを綴った自伝、『女優の夜』を発表している。

 1990年4月30日死去(享年43)