飛鳥明子

飛鳥明子(あすかあきこ 1907年生)
 [松竹楽劇部トップスター]



 1907年に開業医の娘に生まれ、高等女学校を経て松竹楽劇部に入団。クラシックバレエの名手としてその才能を開花させ、舞台への真面目な姿勢によって絶対的な地位を獲得した。バレエシューズが簡単に手に入らなかった時代、足先に包帯を巻いて血をにじませながらバレエの稽古に打ち込んでいたという。

 1933年夏、大阪において待遇条件の改善要求を訴えた松竹楽劇部員が舞台をサボタージュした、いわゆる「桃色争議」がおこる。世間の共感やマスコミの追い風も受けて、楽劇部員の勝利におわるが、争議団長であった飛鳥明子は責任をとって退団した。

 その後、結婚。振付師として後輩を指導していたが、1937年に病気により29歳の若さで亡くなった。

 1937年?月?日死去(享年29)