エリック・ドルフィー

エリック・アラン・ドルフィー(Eric Allan Dolphy 1928年6月20日生)
 [アメリカ・ミュージシャン]



 ロサンゼルス生まれ。卓越した技巧と独特のアドリブフレーズで知られる。1958年、チコ・ハミルトン楽団に参加。その後チャールズ・ミンガス楽団に加わる。同時にソロ活動も開始した。1961年にトランペット奏者ブッカー・リトルとの双頭コンボを組むも、同年10月のリトルの急逝で頓挫。1961年~1962年まで、ジョン・コルトレーンのグループに参加し、1964年には再びミンガス楽団に加わった。同年夏、ミンガス楽団のヨーロッパツアーに参加中、糖尿病による心臓発作のため、ベルリンにて他界。お金がなく、手っ取り早く糖分だけを取る生活が続いたための病と言われている。遺品となったバスクラリネットとフルートは、ドルフィーの両親からコルトレーンに贈られた。

 バスクラリネット、アルトサックス、そしてフルート、3種類の楽器を自在に吹ける技術を持ちながら、その短い生涯の中で、ドルフィーが主役として活躍していた時期は数年しかない。当時彼の演奏は、「馬のいななき」と言われ、奇矯さをてらった潤いのない音楽と酷評されることが多かった。ゆえにアメリカではサイドマンの仕事ばかりでリーダーとして働けず、ヨーロッパに新しい活躍の場を求めたところで倒れたのである。ドルフィーがそれまでクラシックにおいて使用されるのが主だったバスクラリネットをジャズの独奏楽器として用いたことは、後のジャズ奏者に多大な影響を与えた。

 1964年6月29日死去(享年36)