バディ・ロジャース

バディ・ロジャース(Buddy Rogers 本名:ハーマン・ロード 1921年2月20日生)
 [アメリカ・プロレスラー]



 ニュージャージー州カムデン出身。少年時代からYMCAでレスリングを学び、17歳でデール・ブラザース・サーカスに入団した。本名ハーマン・ロードの名前でデビューしたが、デビュー年は1939年と1941年の二つの説がある。その後、リングネームをバディ・ロジャースに変えるが、これは当時アメリカで流行した三文SF小説の登場人物をアダプトしている。

 1940年代後半からは数々のタイトルを取り、全米一の観客動員力を誇るスーパースターであったが、NWA内部の権力闘争の影響でNWA王座に就くのは遅く、1961年6月30日、シカゴのコミスキー・パークでパット・オコーナーを破りようやく第43代NWA世界ヘビー級王者となる。1963年1月ルー・テーズに敗れて王座転落後、自らのボスであったビンス・マクマホン・シニアのWWWF設立に協力し初代WWWF世界ヘビー級王者となったが、同年5月ブルーノ・サンマルチノに48秒で秒殺されて王座を失い、そのまま選手としては引退。1980年代にはWWFでジミー・スヌーカのマネージャーとしてプロレスの現場に復帰している。

 1992年6月26日、スーパーマーケットで床に落ちていたクリームチーズに足を滑らせ、頭部を強打して死去。1994年に、その生前の功績を称えられWWF殿堂入りを果たした。

 1992年6月26日死去(享年71)