正田昭(しょうだあきら 1929年4月19日生)
[死刑囚/小説家]
その直後に警察に指名手配されて逃亡していた正田だが、10月12日に京都で逮捕される。当初は「ただナット・ギルティ(無実)を主張するだけです」と英語交じりに語ったり、共犯者を主犯とする供述をしていたが、やがて自分が主犯だと自供した。
獄中でカトリックと出会い、それ以後の正田は模範囚であった。1963年に最高裁で死刑が確定した。獄中では正田で小説を書くようになる。1963年に書いた小説「サハラの水」は、「群像」の新人賞候補にもなった。1969年12月9日、死刑執行。その前夜、正田は弁護士宛てに次のような手紙を書いていた。
「先生、さようなら。いよいよお別れの時が参りました。つい先日、慈父のごとき愛にみちた御手紙をいただいたばかりですのに、もう先生のお言葉に接することができないとは、本当に悲しいですし、明日の死を前に、最後の面会に来てくれました母の心を思うと、ふかい悲しみにみたされ、今更のように親不孝なわが身が責められてなりません。しかし、今は母もゆるしてくれているでしょう。母は『天国に行って待っていてね。そしてお母さんがゆくときは迎えに来てね』と云いました。先生、ながい間、本当にありがとうございました。御恩はあちらへ行っても忘れません。どうぞ母と私のためにお祈りください。これから、最後の夜を母のためにすごすつもりです。では先生、もういちど、さようなら。」
1969年12月9日死去(享年40)