西岡恭蔵

西岡恭蔵(にしおかきょうぞう 1948年5月7日生)
 [ミュージシャン]



 三重県出身。高校時代から米国のフォークソングやビートルズなどの影響で歌を作り始める。1960年代に、フォーク喫茶「ディラン」の雇われマスターとなる。その店に集まっていた常連客たちと、「ザ・ディラン」を結成する。1971年頃にソロシンガーを目指し、同グループを脱退したが、大塚まさじと永井洋の2人による「ザ・ディランII」のデビューアルバム『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』では、象狂象のペンネームで大半の曲を提供。「プカプカ」は、彼にとっても、ザ・ディランIIにとっても、大塚にとっても代表曲となる。同年に、アルバム『ディランにて』でソロデビュー。

 その後、細野晴臣をプロデュースに迎え、『街行き村行き』(1974年)、『ろっか・ばい・まい・べいびい』(1975年)と2枚のアルバムを発表。1970年代後半からは『南米旅行』、『ヨー・ソロ』、『NEW YORK TO JAMAICA』などのアルバムで、ボヘミアン的なスケール感の中に暖かさを感じさせる歌をきかせた。

 1980年代に入ってからは、岡崎善文とのKYOZO&BUNや、カリブの嵐、ハーフムーンといったグループでも活動し、KYOZO&BUNでは『パラダイス・カフェ』(1983年)、『トラベリン・バンド』(1986年)、カリブの嵐では『‘77.9.9.京都"磔磔"』(1977年)、ハーフムーンでは盟友・大塚率いるラブコラージュとのライブを半分ずつ収めた『ハーフムーンにラブコラージュ』といったアルバムを遺している。一方、1970年代の半ばから作詞家である妻KUROと松田優作、山下久美子らに楽曲を提供、矢沢永吉作品への参加も多く「トラベリン・バス」「黒く塗りつぶせ」「夏のフォトグラフ」などを作詞している。

 1997年4月4日、妻KUROが乳癌により死去。1999年4月3日、KUROの三回忌前日に自宅で首を吊って後追い自殺を図り、死亡した。

 1999年4月3日死去(享年50)