シェレシュ・レジェー

シェレシュ・レジェー(Seress Rezso 1899年11月3日生)
 [ハンガリー・シンガーソングライター/ピアニスト]



 レジェーはもともと演劇を学び、音楽は独学で身につけ、作曲家を目指して1930年代初期をパリで過ごした。しかし彼の願いは叶わず、彼の作曲した曲は全て受領されもせず、彼の元に送り返された。意気消沈の中1932年12月に「暗い日曜日」という歌を作り、著名な出版社に投稿した。最初の会社ではメロディーとリズムの暗さが世に出すには暗すぎると送り返され、次の会社で採用、1933年に発表された。しかし元の歌詞は使われず、ピアニストとして活動をしていたレストラン「キシュピパ」のオーナーであったヤーヴォル・ラースローの歌詞が使われた。当時ラースローは当時婚約者を失ったことで失意の底にいた。

 「暗い日曜日」はレジェーの代表作となったが、曲調、歌詞ともに陰鬱さを醸し出した本作は「自殺ソング」として、またヨーロッパやアメリカでは「自殺の聖歌」として知られるようになった。歌詞の内容は暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、最後は自殺を決意するという一節で終わる。本作を聴いて世界中で数百人が自殺したと言われているが、この本作と自殺との因果関係は明確には証明されておらず、本作が原因とされる自殺の記録も明確には無い。ゆえに都市伝説ではないかとも言われている。当時はナチス・ドイツによる軍事侵攻の危機が迫るなど自殺者が出てもおかしくない世相であったため、直接の原因ではないにせよ、自殺を扱った本作が「引き金」になった可能性は示唆されている。ただし、当時はまだポピュラー音楽がそれほど普及していなかったため、自殺しようとする者が残すメッセージとして手に取るものがこれしかなかっただけではないかと言う説もある。

 1968年1月、レジェーはブダペストの自宅アパートから投身自殺を図り一命を取り留めたが、後に病院でワイヤを使って窒息自殺した。自殺の原因は、喉の病気があると思い込んでいた為であるが、「暗い日曜日」に対する世間の非難などの苦悩が少なくとも影響しているのではないかとも言われている。ちなみに、「暗い日曜日」のヒット後にレジェーの恋人が服毒自殺したと言われているが、レジェーを知る人物によると恋人の自殺は聞いたことはないとしている。

 1968年1月11日死去(享年68)