ラファエル・スペラフィコ

ラファエル・スペラフィコ(Rafael Sperafico 1981年4月22日生)
 [ブラジル・レーシングドライバー]



 スペラフィコ一家はブラジル国内選手権や北米、イタリアなどの選手権を中心に過去10名以上のプロドライバーを輩出しているレース一族である。

 ラファエルは1981年、ブラジルのパラナ州トレドで生まれた。2000年から2002年にかけて、アメリカを拠点としてバーバー・ダッジ・プロシリーズに参戦し、2002年には年間2位となった。2003年からは、ユーロ3000選手権に参戦するためヨーロッパに本拠を移し、2ポイントを獲得してシリーズ15位となった。これによって、親類のリカルド、ロドリゴ、アレックスに続き、FIAのフォーミュラ3000に参加したことになる。2006年からブラジル国内選手権に活躍の舞台を移し、ルノースーパークリオカップでシーズン4位に入っている。

 ストックカー・ブラジルの下位選手権であるストックカーV8ライトに参戦していた2007年、12月9日にサンパウロ市のインテルラゴスサーキットで開催されたシーズン最終戦において、レースの6週目、スペラフィコはメインストレート直前にある高速左コーナーでコントロールを失い、猛スピードでコース右側にある擁壁に衝突した。その衝撃は衝突した車体がコースまで跳ね返った結果、多重衝突事故を引き起こしてしまったほどで、スペラフィコの車は後続のレンタオ・ルッソの車体前面に左側面からぶつかり、この衝突によりスペラフィコの車は前面だけでなく側面も大破した。

 レースはすぐに中断され、救急スタッフが駆けつけたものの頭部に受けた傷が深刻で、スペラフィコは帰らぬ人となった。車体の直撃を受けたルッソも頭部に外傷を負って病院に運ばれたが重傷ではなかった。この他にも数人のドライバーが事故の巻き添えで負傷している。

 奇しくもこの日、従兄弟のロドリゴがストックカー・ブラジルの最終戦でシーズン2位争いを決め、ラファエル自身それに祝福を送ったばかりのことで、スペラフィコ一家にとってはほろ苦い一日となった。

 2007年12月9日死去(享年26)