ドロシー・ストラットン

ドロシー・ストラットン(Dorothy Stratten 本名:ドロシー・ルース・ホーホストラーテン 1960年2月28日生)
 [カナダ・プレイメイト/女優]



 バンクーバーで、オランダ移民の子として産まれる。高校に通いながらファーストフードチェーンでアルバイトをしていた彼女は17歳の時、当時26歳のポール・スナイダーと出会う。彼が彼女のヌード写真を「PLAYBOY」に投稿したことをきっかけに、モデルとしての活動を開始する。

 1979年、スナイダーと共にロサンゼルスへ転居。 ストラットンに改名した後、PLAYBOY誌1979年8月号のプレイメイトとなり、センチュリーシティー・プレイボーイ・クラブでバニーガールとして働き始める。そして1980年にはついに、プレイメイト・オブ・ザ・イヤーを手にする。

 ストラットンはスナイダーと結婚したが、彼は彼女のヒモに堕し、二人の関係は早々に崩壊した。「プレイボーイ」創刊者のヒュー・ヘフナーはたびたびスナイダーと縁を切るよう促している。それに対しスナイダーは奇行に走り、探偵を雇って彼女の一挙一動を監視するまでになっていた。一方モデルとして成功を収めたストラットンは、女優としての活動を開始し、2本の映画に出演を決める。また私生活においても、スナイダーと別居し、映画監督のピーター・ボグダノヴィッチと交際を始めた。

 1980年8月14日、スナイダーの部屋でショットガンに撃たれて死んでいるストラットンとスナイダーが発見された。遺体は双方とも裸であった。 警察はスナイダーがストラットンを強姦した上で射殺し、死体にも凌辱を加えた後、同じショットガンで自殺したと判断した。ストラットンは離婚について友好的に話せるよう、スナイダーに渡すための1000ドルを用意してスナイダー宅を訪れていたという。

 ストラットンは、ロサンゼルスのウエストウッド・メモリアルパークに埋葬された。映画評論家のヴィンセント・キャンビーは「ストラットン嬢はスクリーン上で魅力的な存在で、時間と仕事に恵まれれば一流の喜劇女優になったかも知れない。」 と述べている。

 1980年8月14日死去(享年20)