成瀬弘

成瀬弘(なるせひろむ 1944年生)
 [テストドライバー]



 1963年トヨタ自動車工業入社。最初はトヨタ自動車の車両検査部に臨時工として採用されたという異色の経歴の持ち主。入社以来10年間、メカニックとしてモータースポーツ活動に関わり、トヨタ7やトヨタ2000GT等を担当。1970年にはスイスに駐在、海外レース「ニュル耐久」「スパ耐久」に日本から初参戦する等、トヨタモータースポーツの創生期を支える。量販車の開発では、MR2やスープラなどスポーツ車の味付けを行なってきた。また、レクサスLFAの開発では味づくりの一環として発売前からニュルブルクリンク24時間レースに3年間連続で参戦。2009年にはドライバーとして参戦、そして2010年には監督としてクラス優勝へと導いた。車両開発の聖地と言われるニュルブルクリンクを長年走り込み「世界で最もニュルを知る男の1人」として、フェラーリからも一目置かれていた。

 レクサスLFAの完成に心血を注ぎ、自らステアリングを握って開発テストを進めていた最中の2010年6月、ドイツ・ニュルブルクリンク近郊の一般道で成瀬が運転するレクサスLFAとBMWのテストカーが衝突、成瀬は病院に搬送されたが死亡が確認された。事故の原因は、成瀬が対向車線をはみ出して正面衝突したとみられている。

 四点シートベルトが外れていた状態で発見されたことから体調不良とも思われたが、検死解剖されることなく遺体が日本に送還されたため、真実は闇に消えた。事故現場の近くには成瀬を偲んで2本の桜の木が植えられ、ニュルブルクリンクを訪れる関係者やGAZOO Racingのスタッフ・ドライバーが多く訪れる。

 2010年6月23日死去(享年67)