桑野通子

桑野通子(くわのみちこ 本名:桑野通 1915年1月4日生)
 [女優]



 スラリとした抜群のプロポーションとモダンな美しさで人気を博し、高峰三枝子や三宅邦子・高杉早苗らと共に戦前の若手銀幕スターとして一翼を担った。

 東京生まれ。1932年3月、三田高等女学校をトップクラスの成績で卒業後、森永製菓に入社し初代スイートガールとして販売促進・営業宣伝のため、全国の百貨店やキャンディーストアーを巡る。

 1934年、赤坂溜池のダンスホール『フロリダ』で 人気ダンサーとして働いているときにスカウトされ松竹へ入社。同年11月封切の映画『金環蝕』でデビューを果たす。翌1935年には新入社の上原謙と「アイアイコンビ」として売り出し人気も上昇した。以後、小津安二郎や清水宏・島津保次郎など日本を代表する名監督の作品への出演を重ねた。

 1942年7月17日、森永製菓社員時代から社員同士で縁があった斎藤芳太郎との間に長女をもうける。なお斎藤芳太郎は妻子ある身であった。

 1946年、溝口健二監督の映画「女性の勝利」に出演するも、3月29日、大船撮影所にて撮影中にあとワンカットを残し突然倒れ大船病院に運ばれた。4月1日に子宮外妊娠による出血多量が原因で逝去。

 1946年4月1日死去(享年31)

桑野通子(くわのみちこ 本名:桑野通 1915年1月4日生)
 [女優]



 スラリとした抜群のプロポーションとモダンな美しさで人気を博し、高峰三枝子や三宅邦子・高杉早苗らと共に戦前の若手銀幕スターとして一翼を担った。

 東京生まれ。1932年3月、三田高等女学校をトップクラスの成績で卒業後、森永製菓に入社し初代スイートガールとして販売促進・営業宣伝のため、全国の百貨店やキャンディーストアーを巡る。

 1934年、赤坂溜池のダンスホール『フロリダ』で 人気ダンサーとして働いているときにスカウトされ松竹へ入社。同年11月封切の映画『金環蝕』でデビューを果たす。翌1935年には新入社の上原謙と「アイアイコンビ」として売り出し人気も上昇した。以後、小津安二郎や清水宏・島津保次郎など日本を代表する名監督の作品への出演を重ねた。

 1942年7月17日、森永製菓社員時代から社員同士で縁があった斎藤芳太郎との間に長女をもうける。なお斎藤芳太郎は妻子ある身であった。

 1946年、溝口健二監督の映画「女性の勝利」に出演するも、3月29日、大船撮影所にて撮影中にあとワンカットを残し突然倒れ大船病院に運ばれた。4月1日に子宮外妊娠による出血多量が原因で逝去。

 1946年4月1日死去(享年31)