松岡利勝

松岡利勝(まつおかとしかつ 1945年2月25日生)
 [政治家]



 熊本県阿蘇市の農家の長男として生まれる。中学卒業後熊本県立済々黌高等学校に進学し親元を離れ、下宿生活を送る。防衛大学校を目指すが失敗し、2浪ののち鳥取大学農学部林学科に進学する。卒業後、1969年、いわゆるキャリア技官として農林水産省入省。1988年、林野庁林政部林政課広報官を最後に退官し、地元熊本に戻った。

 1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧熊本1区から無所属で立候補。当初は泡沫候補(選挙で当選する見込みが極めて薄い選挙候補者)とさえ見られていたが、初当選、以降連続6回当選している。1995年8月8日、村山改造内閣で農林水産政務次官、1999年10月29日、衆議院農林水産委員長、2000年12月6日、第2次森改造内閣で農林水産総括政務次官となる。2001年1月6日、初代農林水産副大臣となり、WTO交渉等に精力的に取り組んだ。

 2006年9月26日、第1次安倍内閣で農林水産大臣に就任する。松岡は早い段階で安倍支持を表明し、松岡が地盤とする熊本県での安倍の党員得票率は75%を記録した。しかしその後、事務所費問題、光熱水費問題、献金問題等数々の疑惑が浮上し、大きな批判を受ける事となる。安倍晋三は自身の内閣の威信を貫くため松岡を庇い続けたが、マスコミは連日のように彼の不祥事を報道した。本人も真相を話したいと語っていたようだが、党の方針としてそれも許されず、このことが彼を精神的に追い詰めたとされている。

 2007年5月28日、衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)にて首つり自殺を図っている所を警護官らが発見し、救急車で病院に運ばれたが、既に心肺停止状態だった。午後2時死去。現職国務大臣の自殺は日本国憲法下の日本では初めてのことであった。日本中に大きな衝撃を与えた松岡の自殺は、安倍内閣への支持率を低下させる大きな打撃となった。議員宿舎の松岡の部屋からは内閣総理大臣安倍晋三や小泉内閣の内閣総理大臣秘書官を務めた飯島勲、日本国民などにあてた計8通の遺書が見つかっており、内容としては「私の不徳の致すところで申し訳ない。迷惑をおわび申し上げます」「身命をもって責任とお詫びにかえさせていただきます」と書かれていた。ところが、事務所費問題や談合事件に関する記述はなく、「安倍総理、日本国万歳」と締めくくられていた。

 自殺直前の2007年5月26日、地元熊本県に戻り、後援会の人たちと会ったり、高齢で一人暮らしの継母が住む実家を訪れ、両親の墓参りをしたとされている。また、松岡が運び込まれた慶應義塾大学病院では、同病院で入院治療中だったZARDの坂井泉水が敷地内のスロープから転落し後頭部を強打、27日午後に死亡していたことが明らかになっていたため、すでに多くの報道陣が同病院に詰め掛けており、現場となった議員宿舎から病院に運び込まれる映像までが偶然にも各マスコミにより報道されることとなった。

 2007年5月28日死去(享年62)