パッツィー・クライン

パッツィー・クライン(Patsy Cline 本名:バージニア・パターソン・ヘンスリー 1932年9月8日生)
 [アメリカ・歌手]



 バージニア州ウィンチェスター生まれ。1960年代初頭のナッシュビル・サウンドの一端を担い、ポップ・ミュージックとのクロスオーバーに成功。20世紀で最も影響力があり、成功し賞賛を受けた歌手の1人である。豊かな音色、感情豊かな表現力、力強いアルト、カントリー・ミュージック業界の先駆者として知られる。また彼女はこのジャンルの女性歌手の地位を築いたとされる。さらに彼女の曲は様々なジャンルの歌手から刺激を受けているとされる。書籍、映画、ドキュメンタリー、記事、舞台などで彼女の人生およびキャリアが描かれている。彼女のヒット曲は1957年のドン・ヘクトの『Walkin' After Midnight 』に始まり、ハーラン・ハワードの『I Fall to Pieces 』、ハンク・コクランの『She's Got You 』、ウィリー・ネルソンの『Crazy 』と続き、1963年、ドン・ギブソンの『Sweet Dreams 』が最後となった。

 キャリアの絶頂期の1963年3月5日、カンザス州カンザスシティのメモリアル・ホールでの公演を終え、近くの空港からパイパー・エアクラフトのプライベート航空機に搭乗した。この飛行機は給油のためミズーリ州で一旦停まり、その後テネシー州ダイアースバーグのダイアースバーグ空港に到着することとなった。ダイアースバーグの空港マネージャーは強風と悪天候のため一晩待つことを勧め、無料で宿泊地と食料を提供することを申し出たが機長は「もうだいぶ遠くまで来てしまった。あなたが予想する時間より早く到着すると思う」と返事し、離陸した。クラインが乗った飛行機は悪天候の中を飛行し続け、ナッシュビルから約90マイル(140km)離れたカムデン郊外の森の中に墜落した。法医学的検査の結果、全員が即死であった。遺体が運ばれた後に略奪者達が残骸をあさったため、クラインの所持していた金銭や最後の公演の衣装などは回収されていない。遺体は彼女の望み通り葬儀のため自宅に運ばれ、何千人もが参列した。そして、彼女の生まれ故郷であるヴァージニア州ウィンチェスターのシェナンドー記念公園に埋葬された。

 彼女の死後もなお、何百万もの売り上げを伸ばし続けている。様々な賞や称賛を得ており、ジョニー・キャッシュやエルヴィス・プレスリーなどと同様なアイコンとして見る向きもある。彼女の死から10年後の1973年、カントリー・ミュージック殿堂入りした初の女性ソロ・アーティストとなった。1999年、VH1の特別番組『The 100 Greatest Women in Rock and Roll 』でロック業界関係者やアーティストによる投票で第11位となった。2002年、CMTの『The 40 Greatest Women of Country Music 』のカントリー・ミュージック・アーティストおよび業界関係者による投票で第1位となり、『ローリング・ストーン』誌の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第46位となった。1973年のカントリー・ミュージック殿堂の額によると「古さを感じさせない彼女の遺作は彼女の芸術的才能の証しである」。

 1963年3月5日死去(享年30)