戦術君

戦術君(せんじゅつくん 本名:岩佐芳紀 1968年生)
 [ベガルタ仙台のサポーター]



 宮城県出身。チームがまだブランメル仙台でほとんど試合に勝てない時代からの熱狂的なベガルタ仙台サポーターとして活躍し、スケッチブックに描かれた『AB1⇒2』『裏からダミーが抜け出せ<シャドーストライカー?>』『2+2=4 2×2=4』等の一見意味不明だが意味の深い応援ボード(本人曰く「戦術ボード」)を掲げて、いつも応援を繰り広げたことから、Jリーグのサポーターはおろかチーム関係者の間でも非常に有名な存在となった。

 彼がいつも応援していた場所はメインスタンドのB席入口通路で試合中そこに立って応援していた。「仙台がんばれー!」「気持ち、気持ちー!」と90分間声を出し続け、ベガルタ仙台が負けるとその場で号泣する姿も見られた。やがて彼を初めて見る観客から、「試合が見えない」「試合を静かに見たい」といった苦情が出るようになり、運営サイドはスタジアム入場禁止措置をとった。これを聞きつけた仙台サポーターが4ヶ月による署名運動を行い処分を撤回させたこともあった。

 彼は仙台から約40kmも離れた宮城県山元町からスタジアムに通って応援しており、サテライトの試合や練習場の紅白戦でも応援していた。選手の激励会やサイン会でも戦術ボードを掲げた。七夕飾りの短冊には、「ベガルタ仙台が磐田や鹿島のように優勝争いするチームになりますように」と書いていたという。

 彼が最後に応援したのは2002年10月20日のvs磐田戦で、この日ベガルタはリーグ最強のジュビロ磐田相手に善戦し延長戦で負けるも過去最高の試合を見せてくれた。その2日後の10月22日、彼は心筋梗塞でこの世を去った。亡くなった際にはその訃報がスポーツ新聞にも掲載されたほどであった。

 彼の応援信念は、「常に前向きな応援をする」「サポーターが頑張れば選手に絶対気持ちは届く」「試合に勝たなくてはいけない」「目標は絶対に優勝」「決して選手に対してマイナスになるような事は言わない」「最後の最後まで諦めてはいけない」である。ちなみに『2+2=4 2×2=4』とは、方法は違っても最後にそこに(ゴールに)たどり着ければいいという意味だと、親しいサポーターに言っていたという。(そのほかは不明)。

 ベガルタ仙台在籍中に親交のあったサッカー選手の伊藤壇は自らのブログで戦術君に対する追悼メッセージを残したことがある。週刊少年チャンピオンで連載されていたサッカー漫画『ORANGE』では、仙台で行われた試合のスタンドで『2+2=4 2×2=4』のボードを掲げるファンが描かれた。

 2002年10月22日死去(享年34)