アンディ・フグ

アンディ・フグ(Andy Hug 本名:アンドレーアス・フーク 1964年9月7日生)
 [スイス・空手家]



 スイス・チューリッヒに、フランス外人部隊に所属するフランス系スイス人の父親と、ドイツ人の母親の間に生まれた。父親は息子のアンディに会うこと無くタイで死去、女手一つでは育てられなくなった母親は、アンディを児童養護施設に預けた。その後、アンディは祖父母に引き取られた。

幼少期のアンディはサッカー少年であったが、ブルース・リーに憧れて10歳より極真空手を始める。そして若くして頭角を現し、1985年と1989年の極真ヨーロッパ選手権で優勝。その後、極真会館を退会。アンディはプロに新天地を求めて正道会館に移籍。グローブ空手を経て1993年からK-1に参戦する。

 勝ちも負けもKO決着が多い、倒すか倒されるかの選手であった。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドと共に創成期のK-1四天王として君臨し、K-1ファイターの中では決して大きくない体で、負けても負けても立ち上がる不屈の戦いぶりとリベンジマッチでの強さ、彼が得意としていた踵落とし等の華麗な技、そしてCMやテレビ番組で見せるユーモア溢れる人柄も併せ、K-1の人気を押し上げることに大きく貢献した。

 2000年の福岡大会のトーナメントに出場する予定だったが、大会の2ヶ月の8月24日に急性白血病のため死去。急性白血病のことは周囲の心配をかけることを嫌い、家族にすら内緒にしていた。8月24日、午後2時に正道会館で記者会見を行い、アンディの病名と危篤状態にあること、またアンディからの2日前の8月22日に残したファンへのメッセージが告げられた。「今度の敵は私がこれまで闘った中でも一番の強敵です。しかし、私は勝ちます」 。

 病状を直前まで知らされていなかった角田信朗が慌てて病院に駆けつけた時には、既にアンディは声をかけても反応できない状態にあり、やがて心肺停止状態に陥った。しかし角田が「何してんねん!」「アンディ、ファイト!」「まだ戦えるやろ!」と声をかけると、アンディの心肺機能が一時復活した。アンディは角田の呼びかけに3度も応え、そして息を引き取った。その時、側にいた主治医は「角田さん、ドクターストップです。もう休ませてあげましょう」と角田を諭したという。

 葬儀は本人の希望により日本式の仏式葬儀で行うことになり、2000年8月27日の告別式はテレビで生中継された。残された家族は、妻と息子の2人。息子のセイヤという名は空手の掛け声から命名している。

 2000年8月24日死去(享年35)