アストンマーチャン

アストンマーチャン(2004年3月5日生)
 [競走馬]



 イギリスの高級車・アストンマーティンと馬主である女医の戸佐眞弓(とさまゆみ)の愛称をもじったもので、アストンマーティンのように速く走ることを願って名付けられたとされるが、JRAの公式ホームページでは「サーキット名+人名愛称」とある。

 2006年7月、鞍上に武豊を迎え小倉競馬場でデビュー。新馬戦こそクビ差及ばず2着に敗れるも、和田竜二に乗り替わった2戦目の未勝利戦で単勝1.3倍の人気に応えて順当に勝ち上がった。続く小倉2歳ステークスではフェニックス賞を制したシルバーストーンに人気が集まり、アストンマーチャンは3番人気であった。レースは序盤の3ハロンの通過タイムが32秒5というハイペースで展開する中、2番手を追走。4コーナーで先頭に立つと、そのまま2馬身半差を付けると言う力強い競馬で重賞初制覇を果たした。更に、鞍上の鮫島良太にとってもこれが重賞初勝利であった。この後はファンタジーステークスに出走。鞍上が再び武に乗り替わったものの有力馬が揃ったことや距離延長も不安視され、3番人気に留まった。道中では好位につけ直線半ばから一気に抜け出し、イクスキューズに5馬身差を付け勝利を飾った。レース中に左後脚を落鉄したにもかかわらず、勝ち時計は1分20秒3。2歳レコードでの重賞連覇だった。そして迎えたGI競走の阪神ジュベナイルフィリーズでは圧倒的1番人気に推され最後の直線では早めに先頭に立ち押し切りを図るものの、ゴール直前でウオッカに交わされ2着に敗れた。

 2007年の初戦は桜花賞トライアルのフィリーズレビュー。1400mでのレコード勝ちの実績もあり、単勝1.1倍の圧倒的1番人気に推される。道中は若干掛かり気味で追走するも直線では後続をちぎり、重賞3勝目を挙げた。しかしウオッカとの再戦となった桜花賞ではパドック・返し馬で激しくイレ込む様子が見られ、レースでもスタート直後から引っ掛かり最後の直線で粘りきれず、ダイワスカーレットの7着に敗れた。

 その後、NHKマイルカップ・優駿牝馬(オークス)は回避し春シーズンは休養。サマースプリントシリーズの第3戦・北九州記念で復帰し騎手も岩田康誠に乗り替わった。しかし先行馬には厳しい展開となり、圧倒的1番人気であったが見せ場なく6着に敗れた。その後、中舘英二を鞍上に迎えた第41回スプリンターズステークスでは大雨降り頻る不良馬場の中、スタートから果敢に逃げるとそのまま逃げ粘り古馬を抑え初めてのGI制覇を飾り、10月3日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは112の評価を得た。その後は10月27日のスワンステークスに出走、前走同様果敢に逃げたが距離延長が響いたのか、最後は失速して14着に敗れた。なお香港スプリントに予備登録を行っていたが、10月23日に馬インフルエンザの影響で検疫期間が当初1ヶ月かかることが想定されたことで回避することが発表された。スワンステークス後は放牧に出され、12月21日に帰厩した。

 復帰戦はシルクロードステークス。桜花賞以来に武が騎乗してのレースとなったが、直線半ばで失速し10着。その後秋春スプリントGI制覇を目指して高松宮記念に向けての調整を続けていたが3月3日の朝に突然体調を崩したことにより、高松宮記念を回避。その後X大腸炎を発症して栗東トレーニングセンター診療所に入院。加療の甲斐なく4月21日、急性心不全のため死亡した。

 2008年4月21日死去(享年4)