中村魁車

中村魁車(なかむらかいしゃ 本名:桂榮太郎 1875年12月21日生)
 [歌舞伎役者]



 大阪出身。初代中村鴈治郎に入門し部屋子となる。1883年に初舞台を踏み、中村成太郎を名乗る。その後東京の二代目市川左團次のもとで修業し、1914年に中村魁車に改名。魁車の名は贔屓の富岡鉄斎が付けた。改名に際して、師匠鴈治郎は実父の名跡から「四代目中村翫雀」、または共に尊敬する先輩の名跡から「二代目中村宗十郎」を勧めたが、独立心の強い成太郎はあえて代数のつかない独自の名跡「中村魁車」を選んだといわれている。

 以後、初代鴈治郎一座の女形として活躍したが、つねに立女形を三代目中村梅玉に譲り、鴈治郎を中にして梅玉が本妻、魁車は妾のようだと言われた。しかしそこは門閥外から出世した努力の人で、梨園の御曹司だった梅玉とは常に張り合いながら芸を磨いていった。

 1935年に鴈治郎が死去してからは、梅玉や二代目實川延若とともに関西歌舞伎界の長老として活躍。芸の上では品格に欠ける嫌いはあるも、女形のほか立役・老役・敵役・道化など幅広い役をこなすその万能ぶりは際立っており、『盛綱陣屋』の佐々木盛綱を師の鴈治郎と初代吉右衛門の二つの型で演じ分けるなどかなりの技量を持っていた。

 1945年3月14日から15日にかけての大阪大空襲による戦災で死去。自宅防空壕内で孫を抱きしめて焼死するという非業の死だった。後日、その壕の前ではかつての好敵手の梅玉が泣きながらひざまずいて合掌していたという。

 1945年3月15日死去(享年69)