佐田啓二

佐田啓二(さだけいじ 本名:中井寛一 1926年12月9日生)
 [俳優]



 俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴惠は実子である。京都府の商家の息子に生まれる。京都市立第二商業学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学する。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社する。

 1947年、木下惠介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得する。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマの映画化、『鐘の鳴る丘』に主演し、国民的人気を獲得する。

 その人気を決定的なものとしたのは、1953年に公開された『君の名は』である。当時の大人気ドラマを映画化したこの作品で岸惠子と共演し、名実共にトップスターの地位につく。

 1964年8月13日から夏休みを兼ねて妻と信州の別荘に避暑に訪れていたが、NHKドラマ『虹の設計』の収録に参加するために帰京する途中、8月17日午前6時30分頃、山梨県韮崎市の国道20号線で運転手が前の車を追い越そうと80キロのスピードを出し、急カーブを曲がりきれずに高さ1.5メートル、幅50センチのコンクリート橋柱に激突、さらに跳ね返されて追い抜いた車へも衝突する大事故を起こした。車の右側が大破したが運悪く佐田はその場所に乗っていた。佐田はこの事故で頭の骨と右腕を骨折し、すぐに韮崎市立病院に運ばれたが午前11時過ぎ頃に死去した。長女・貴恵が7歳、長男・貴一が3歳の時の悲劇だった。

 この時車に乗っていたのは佐田を含めて4名で、運転手は頭を打ち2ヶ月の重傷、日刊スポーツ記者が顔の骨を折り1ヶ月の重傷、義弟が右肩に1週間の軽症を負った。出演中であった『虹の設計』は生前の映像のコラージュにより製作された。葬儀は8月22日午後2時より青山葬儀場にて行われ、芸能関係者や一般のファンなど千人近くが参列した。

 松竹は高橋貞二(1959年没)、森美樹(1960年没)、佐田啓二の事故死によって、僅か5年間で三人ものスターを失ってしまった。

 1964年8月17日死去(享年37)