知里幸恵

知里幸恵(ちりゆきえ 1903年6月8日生)
 [アイヌ人女性]



 北海道出身。1920年11月、知里幸恵が17歳の時に、金田一京助に勧められて幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞いていた「カムイユカラ」を金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記し始める。翌年、そのノートを金田一京助に送る。1922年に『アイヌ神謡集』の草稿執筆を開始。金田一の勧めにより同年5月に上京。幸恵は重度の心臓病を患っていたが、翻訳・編集・推敲作業を続け、同年9月に金田一家で原稿を書き終えた。

 校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げたが、同年9月18日、心臓麻痺により急逝。翌年の1923年に金田一の尽力によって『アイヌ神謡集』を上梓し、郷土研究社から発行された。

 『アイヌ神謡集』の出版は絶滅の危機に瀕していたアイヌ文化アイヌ民族に自信と光を与え、重大な復権・復活の転機となった。また当時新聞にも大きく取り上げられ、多くの人が知里幸恵を、そしてアイヌの伝統・文化・言語・風習を知ることとなった。

 1922年9月18日死去(享年19)