アルベール・ガイ

ジョセフ・アルベール・ガイ(Joseph Albert Guay 1918年9月23日生)
 [カナダ・殺人犯]



 ケベック市在住の宝石商アルベール・ガイは妻がありながらマリー・アン・ロビターユという愛人と三角関係になっていたが、カトリック教徒であり当時は離婚はほぼ不可能であった。そのため三角関係の解消と妻にかけた生命保険金10000カナダ・ドルを目的に旅客機爆破を計画し、知人である中年女性マルグリート・ピトレと彼女の弟で時計職人のジェネーロ・リュエスを引き込んだ。

 1949年9月9日、カナダ太平洋航空のDC-3は、モントリオールからベーコモーに向かう便として運航中であった。経由地であるケベックを現地時間午前10時25分に離陸したが、およそ20分後にセント・ヨアヒム近郊のセントローレンス川上空で機体前部の荷物置き場が爆発し、操縦乗員が死亡もしくは意識喪失したために、操縦不能になり急降下した。最終的にソール・オ・コーションという村近郊の森に墜落した。墜落現場で新たな火災は発生しなかったが、この墜落により乗員4名、乗客19名の全員が犠牲となった。ガイには川底に証拠を沈めたいという魂胆があったが、被害にあった便はフライト・プランよりも5分遅れで運航していたため、川ではなく森に墜落した。


 捜査当局は貨物の記録から、アルフレッド・ブルッフという実在しない人物へ宛てた重さ12キロの不審な荷物を発見し、そこから荷物を発送したマルグリートが割り出された。彼女の身辺を洗った警察により、妻のリタが乗客のひとりとして事故機に搭乗していたガイに行き付き、事件の主犯としてガイは逮捕された。共犯としてマルグリートと時限爆弾を製造したジェネーロも逮捕された。爆弾は目覚まし時計とダイナマイトと乾電池で構成されていた。ガイに命令されて爆弾を仕掛けたマルグリートは、時限爆弾ではなく木像だと聞かされていたと裁判で主張したが、認められることは無かった。また彼女は事件後睡眠薬自殺を図ったが未遂に終わっている。

 アルベール・ガイは事件の2週間後に逮捕され、裁判で死刑が宣告され、1951年1月12日に処刑された。彼は最後の一言としてフランス語で「私はちょっとした有名人として死ねる」と言い残したといわれる。なお、共犯であった2人のうちの一人、マルグリート・ピトレは1953年1月9日に処刑されたが、彼女はカナダで刑事処分で処刑された13番目かつ最後の女性であった(カナダはその後、死刑制度を廃止したため)。また、もう片方の共犯者であったジェネーロ・リュエスは、1952年7月25日に処刑された。結核によって骨が侵され歩行困難であったため、車椅子で絞首台に連れて行かれたという。

 1951年1月12日死去(享年32)