リッチー・エドワーズ

リチャード・ジェームス・エドワーズ(Richard james Edwards 1967年12月22日生)
 [イギリス・ミュージシャン]



 ウェールズのブラックウッド出身。1988年、ロックバンド「マニック・ストリート・プリーチャーズ」に正式加入。ギターと作詞を担当、バンドのイメージメーカーとしてバンドに多大なる貢献をしていた。

 1991年、バンドはHeavenly Recordsと契約を結び、シングル「モータウン・ジャンク」を発表。同時に「30曲入りの2枚組のデビューアルバムを発表、世界中でナンバーワンにして解散する」といった内容の解散宣言をする。そして、今では伝説となった事件が起きる。彼らの大げさな宣伝に軽蔑した態度をとったNME誌のインタビュアーに対してマニック・ストリート・プリーチャーズが本物であることを証明するために「4 REAL(本気だ)」とリッチーがカミソリの刃で自らの腕に切り刻み17針の大怪我を負う。

 その後ソニーレコードと契約を結び、1stアルバム『ジェネレーション・テロリスト』を発表。アルバムを引っ提げてバンドは世界中をツアーし、多くの国々で成功を収める。特に日本では熱狂的なファンに迎えられた。しかし、アメリカでは全く成功しなかった。

 1994年程なくして、かねてからうつ病や自傷行為、ドラッグ、アルコールなど様々な問題を抱えていたリッチーが精神病を患い精神病院に入院、その後退院し一時はバンド活動に復帰するも、アメリカ・ツアー前夜の1995年2月1日、リッチーは泊まっていたロンドンのベイズウォーターにあるエンバシー・ホテルから突然姿を消してしまった。

 その後、リッチーの車がセヴァーン橋近くのガソリンスタンドで発見されたことから「橋から飛び降りた」説を筆頭に様々な土地で目撃情報が寄せられるなどしたが、イギリスでは失踪者として申請されてから7年経過すると法的に死亡したとみなされるため、2002年に死亡扱いとなった。家族はリッチーの死を否定し、ファンも生存を信じ、バンドメンバーはリッチーが再び戻ってきたときのためにと彼の分の印税も支払い続けていたが、その後も彼は見つからず2008年11月24日、家族が正式に死亡を受け入れた事でイギリスの裁判所により認定死亡とされた。

 リッチーは今でもメンバー扱いとなっており、彼の分の印税はリッチーの家族に等分されている。失踪前のリッチーに最後に接触したのは、日本の音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の記者である。それは当時担当していた森山良子の娘だと、本人と結婚したおぎやはぎの小木博明は語っている。