太地喜和子

太地喜和子(たいちきわこ 1943年12月2日生)
 [女優]



 東京都出身。生後すぐ実母との別離を余儀なくされ、養父母の元に引き取られる。東京の松蔭高校在学中、東映ニューフェイスオーディションに合格。東映と専属契約し、当初は志村 妙子という芸名で映画に端役で出演していた。1962年高校卒業後、翌1963年に東映を離れ俳優座養成所15期生入団。『欲望という名の電車』の杉村春子の芝居に衝撃を受け、1967年文学座に入団した。同年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演、物怖じせずヌードやベッドシーンを大胆にこなし、一躍注目される。文学座の大女優・杉村春子の後継者としての期待が高まり、実力派として活躍した。

 私生活では、俳優座養成所時代からの同期だった秋野太作と1974年に結婚するも、短期間でスピード離婚。その後は三國連太郎、中村勘三郎、尾上菊五郎、志村けんとのロマンスが取り沙汰されたこともあったが、「女優は夢を売る職業だから、見ている人にこの人は帰ったら所帯があると思わせてはいけない」と言うポリシーを持っており、離婚後は他界するまで独身を通した。

 1992年10月13日、『唐人お吉』公演期間中の深夜、乗用車が海に転落する事故により48歳で逝去。同乗者の外山誠二と大滝寛は泳いで脱出したものの、太地は元来泳げなかった上、乗車前に深酒をしていたことから生還できなかった。太地が亡くなってすぐ後に、親交が深く大親友であったカルーセル麻紀が自身の舞台上で感極まり「喜和子~!!」と絶叫しながら号泣した場面がワイドショー等で放送された。

 1992年10月13日死去(享年48)