谷山豊

谷山豊(たにやまとよ(ゆたか) 1927年11月12日生)
 [数学者]



 もともと名前は「とよ」と読むのが正しいものの、「ゆたか」と読み間違える人が多かったので、いつからか自ら「ゆたか」と名乗るようになったという。そのため世界的には「ユタカ・タニヤマ」の名前で知られている。

 埼玉県出身。開業医の家庭に生まれる。高等学校時代に高木貞治の「近世数学史談」を読んで、数学者を志すようになる。

 東京大学理学部数学科、大学院、数学科助手を経て、1958年に東大助教授に就任。同年、婚約が決まりプリンストン高等研究所から招聘を受けてまもなく、自宅アパート・静山荘で遺書を残しガス自殺を遂げた。

 また谷山の死から半月後、婚約者・鈴木美佐子も彼の後を追うという遺書を残して、12月2日にガス自殺。翌年1月25日、谷山・鈴木両家による「葬婚式」が行われた。

 ●谷山が残した遺書
 昨日まで、自殺しようと明確な意思があったわけではない。しかし私が精神的にも肉体的にも疲れてしまっていたことに気づいていた人が少なからず居たと思う。自殺の原因について、明確なことは自分でも良くわからないが、何かある特定の事件乃至事柄の結果ではない。ただ気分的に云えることは、将来に対する自信を失ったということ。私の自殺のために、ある程度迷惑を被る方々が居られるでしょう。私の自殺がそのような方々の将来に黒い影を落すことがないよう、心から望んで居ります。いずれにしても、私の行為がある種の裏切であることは否定できませんが、私の最後の我儘と捉えてください。私がこれまでの人生で行ってきたように。

 1958年11月17日死去(享年31)