倉田高

倉田高(くらたたかし 1913年6月30日生)
 [チェロ奏者]



 東京出身。東京音楽学校を卒業後、1936年にフランスに留学し、モーリス・マレシャルに師事。1940年、パリでリサイタルを開き、好評を博した。同年、第二次世界大戦の勃発により帰国し、音楽挺身隊として日本各地の部隊や軍需工場へ慰問に駆け回った。

 最も将来を嘱望されるチェリストと評価を得ていたが、1945年10月7日、肺結核により疎開先の箱根で息を引き取った。存命であったなら、戦後の日本のチェロ界に新風を吹き込んだであろうと言われた。なお、娘の倉田澄子もチェロ奏者である。

 1945年10月7日死去(享年32)