久保田久雄

久保田久雄(くぼたひさお 本名:久保田久夫 1909年7月7日生)
 [俳優]



 東京生まれ。旅回りの喜劇役者の栗原時太郎の息子で8歳の頃、井上正夫の一座に入り『新ハムレット』の本郷座公演に出演して「若様」を演じ、初舞台を踏む。その後、喜多村緑郎の一座で子役を務めていた。1921年、松竹蒲田撮影所に入社し、『夕刊売』で映画初出演。島津保次郎の監督作品に多く出演し、高尾光子と並ぶ「名子役」と評され、『クオーレ』に想を得た『少年書記』(1923年)では、小川國松と組んで共演、ともに少年スターとなった。18歳となった1927年8月12日に公開された『むさゝびの三吉』に主演したのを最後に、同社を退社した。翌1928年、映画監督の細山喜代松が名古屋市道徳に立ち上げた第一映画聯盟に参加、『地獄極楽』および『出船の日』に出演。同社の解散後は、東京シネマ商会が製作した『あゝ玉杯に花うけて』に出演した。

 1931年からは、スタッフに転向、不二映画社の長篇劇映画や、日本電報通信社の短篇ドキュメンタリー映画に携わった。第二次世界大戦後は、貸しスタジオに勤務したとされるが、時期は不明であるが、1979年以前の時点で、すでに自殺したと伝えられている。

 19??年?月?日死去(享年??)