ジョアキン・アゴスティーニョ

ジョアキン・フェルナンデス・アゴスティーニョ(Joaquim Fernandes Agostinho 1942年4月7日生)
 [ポルトガル・自転車競技選手]



 ヴォルタ・ア・ポルトガル総合3連覇(1970年~1972年)、国内選手権・個人ロードレース6連覇(1968年~1973年)、ポルトガル最優秀自転車選手賞10回を受賞した、今でもポルトガルを代表する名選手である。

 ツール・ド・フランスは1969年に初出場し、通算8回の総合ベスト10入りを果たす。1978年、1979年にはいずれも総合3位に入り、1979年のツールでは、ラルプ・デュエズの区間を制している。ブエルタ・ア・エスパーニャでは3回総合ベスト10入りを果たし、とりわけ1974年の大会では終盤に猛追。最終ステージの個人タイムトライアルを制するなどして、ホセ・マヌエル・フエンテを最後まで追い詰めたが、わずか11秒差及ばず総合2位となった。なお、1977年のツール・ド・フランスでは第18ステージで勝利しながらもドーピング違反により区間記録を剥奪され、総合時間も所要時間プラス10分間の罰則処分を受けた。

 1984年、ポルトガル南部のアルガルヴェで開催されたヴォルタ・アン・アルガルヴェのレース中、コースに現れた犬とぶつかり、バランスを崩して転倒。頭部を強打し、意識不明となった。そのとき、アゴスティーニョはヘルメット等の頭部防備品は着用していなかった。一時は回復の兆候を見せたものの、5月10日、脳内出血のため死亡した。

 1984年5月10日死去(享年42)