H・B・ハリッキー(Henry Blight Halicki 1940年10月18日生)
[アメリカ・映画監督/スタントマン]
ニューヨーク州生まれ。父が自動車のスクラップ工場を経営していた事もあって、小さい頃から車に興味を持ち、15歳の時に独立しようと車の勉強をするためにロサンゼルスに向かった。カリフォルニア州ガーデナに住み高校3年になるまで愛車だった56年型カスタム・ビュイックで西海岸全域のモーター・ショーに参加し、数々の賞を獲得した。17歳で豪華な一軒家を買い、さらに実業家として手腕をのばし不動産業を始める。また、スタントマンとしても活躍し数多くのハリウッド映画にアクション監督として参加した。
1970年、ハリッキーは友人の話を元にカーアクション映画『バニシング in 60』を製作。1974年にアメリカ合衆国で公開、日本では翌年に公開された。上映時間の半分を割いた約40分にわたる前代未聞のカーチェイスは語りぐさとなっている。
1989年5月11日、ハリッキーは結婚、同年『バニシング in 60』の続編『バニシング in 60
PART2』の製作を開始したが、悪夢は突然訪れたのである。8月20日、撮影の準備をしている最中に、そのシーンの途中で崩壊するように据え付けられていた48メートルの長さの給水塔が予定よりも早く崩れ落ち、給水塔を支えていたケーブルが近くにあった電柱をなぎ倒した。その瞬間、ハリッキーは大勢のファンや取材陣、彼の妻が見守る中、電柱の下敷きとなり死亡した。