丸井太郎

丸井太郎(まるいたろう 本名:石上正治 1935年12月生)
 [俳優]



 東京出身。高校卒業後、文学座に入る。演出の仕事に携わっていたが、俳優に転向し、1958年に大映でデビュー。大部屋俳優として過ごしていたが、1963年、テレビドラマ『図々しい奴』の主役に抜擢され、平均視聴率30%強、最高視聴率45.1%という大ヒットを記録し一躍人気者になり、テレビドラマのオファーが殺到した。

 しかし、当時の映画界は五社協定により人気スターがテレビドラマに出演する事が許されなかった。「売れている役者は映画優先」という五社協定の事項及び永田雅一社長率いる大映の方針のために、丸井も映画界に戻らざるをえなかった。そんな彼を待っていたのは飼い殺しに等しい扱いだった。肥満体で朴訥という丸井の良さを引き出す作品とは出会えず、特撮映画などの脇役を演じるに留まり、やがて存在そのものが忘れ去られていった。

 その境遇に絶望した丸井は1967年9月6日、睡眠薬を飲んでガス自殺で自ら命を絶った。遺書には便箋にボールペンで「妻にもう一度会いたい。残念」と書かれていた。丸井は7月から京都での映画ロケをしており、その間、妻は実家へと帰っていた(妻子ある男性と駆け落ちしたとも言われている)。

 その後、大映は1971年に倒産するが、その主な要因となった映画事業の赤字による巨額負債が表面化したのは、丸井の自死から半月後のことであった。

 1967年9月6日死去(享年31)