向田邦子(むこうだくにこ 1929年11月28日生)
[脚本家/小説家]
東京生まれ。保険会社勤務の父親が転勤族であったため、幼少時から高等女学校時代まで日本全国を転々としながら育つ。東京都立目黒高等女学校、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒業。1952年、新聞の求人欄に「編集部員求ム」の広告を出していた雄鶏社に応募し採用され、雑誌『映画ストーリー』の編集に従事するかたわら市川三郎のもとで脚本を学ぶ。1960年、同社を退社後、フリーライターとして独立する。
1964年、『七人の孫』でヒットを飛ばし、その後、『だいこんの花』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』『あ・うん』などのヒットを連発して高視聴率ドラマ脚本家の地位を不動のものにした。短篇の連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』では第83回直木賞を受賞した。彼女が執筆したドラマの数は20年間で1000本以上、ラジオに関しては1万本を超えるが、絶妙なセリフまわしや、卓抜した構成で「向田ドラマ」という言葉も生まれ、今日のホームドラマの基礎を築いた。
1981年8月22日、エッセイ集の取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故(乗員6名、乗客104名、計110名全員死亡)に巻き込まれ死亡。事故原因は、海洋に近い台湾島内を頻繁に飛行したため、塩水の影響で与圧隔壁の腐食が著しく進行し、貨物室の外板が破壊され、空中分解に至ったものであった。犠牲者の中には日本人18名が含まれていたが、向田のほかシルクロード写真企画の火付け人であった志和池昭一郎がいたこともあって、日本社会に大きな衝撃を与えた。