山根敏子

山根敏子(やまねとしこ 1921年11月14日生)
 [外交官]



 鳥取県生まれ。津田塾専門学校(後の津田塾大学)卒業。1950年3月15日、外交官及び領事試験に唯一の女性として合格。日本の国連への正式加盟に尽力する澤田廉三のもとで手腕を発揮した。

 日本初の女性外交官として大きな期待をかけられたが、6年後の1956年8月29日、国連における任務から帰任途中、乗っていたカナダ太平洋航空307便が経由地のアラスカ州コールドベイへ着陸進入中に向かい風で速度が低下していたにもかかわらず、是正措置を取らなかった為空港手前に墜落。この事故で14名の乗員乗客と共に死去した(残る7人は重軽傷を負った)。

 1961年、山根の遺志を継ぎ、国際関係に貢献するに足る人材を育成するため、女子学生を対象にした「財団法人 山根奨学基金」が設立された。

 1956年8月29日死去(享年34)