ジェフ・クロスノフ

ジェフリー・ジョン・クロスノフ(Jeffrey John Krosnoff 1964年9月24日生)
 [アメリカ・レーシングドライバー]



 オクラホマ州タルサ出身。幼い頃よりテレビアニメ『スピードレーサー』を視聴、番組のファンとなる。また元F1ドライバーのロニー・バックナムの長女スージーと同い年であり、幼少期より近所で育つ。小学校時代に同じクラスとなった際、授業の一環の中で、スージーが父のヘルメットとレーシングスーツを持参し、その仕事を紹介したことがあった。これ以後、ますますレースに興味を持つようになったという。1977年にF1のアメリカ西GPを観戦し、F1ドライバーへの思いを強くする。

 1983年にジム・ラッセル・レーシングスクールに入り、レース活動を開始。その後、フォーミュラ・マツダやフォーミュラ・アトランティックに参戦した。1988年に来日し全日本F3000、全日本GT選手権等に参戦。1995年まで活動し、日本のレースファンには御馴染みのドライバーとなった。陽気かつ紳士的な性格からパドックでも人気は高く、特に参戦時に知り合ったエディ・アーバイン、ローランドラッツェンバーガー、マウロ・マルティニらは親友として知られた。漫画家のすがやみつるとも親交が深かったという。

 1996年、クロスノフは日本を離れトヨタの開発ドライバーとしてCART参戦を開始する。トヨタも彼同様参戦1年目であったことから、上位に食い込むことは出来なかったが、チームのために懸命にマシンを走らせていた。第11戦トロントのレース終盤、クロスノフはエマーソン・フィッティパルディ、ステファン・ヨハンソンと数珠繋ぎで走行していた。95周で行われるレースの92周、クロスノフがヨハンソンを抜こうと挙動を変えた瞬間、ヨハンソンもフィッティパルディを抜こうと、同じ向きに挙動を変えた。この結果、クロスノフのマシンの左フロントタイヤが、ヨハンソンのマシンの右リヤタイヤに乗り上げ、クロスノフのマシンが宙を舞った。宙を舞ったマシンは、ヘルメット側からフェンスに沿って何度も回転しながら砕け散り、最後はコース脇に立っていたニレの木に激突。クロスノフは頭部に致命的な損傷を負って即死し、事故現場付近にいたコースマーシャル1人も、事故に巻き込まれて亡くなっている。

 F1への参戦を目標にしていたクロスノフだが、叶う事は無かった。クロスノフの死を受け、マルティニはフォーミュラカーレースからの引退を決意した。クロスノフが激突したニレの木は、2002年に立ち枯れ病により切り倒された。しかし切り倒されることが判明した2001年頃より行われた募金活動により、切り株は残されている。また、クロスノフと亡くなったマーシャルの2人の名前が刻まれたプレートが埋め込まれた。

 1996年7月14日死去(享年31)