グエン・ベト

グエン・ベト(Nguyen Viet 1981年2月25日生)
 [ベトナム・結合双生児]



 下半身がつながった結合双生児の兄グエン・ベト、弟グエン・ドクを指して1980~1990年代にかけて日本のマスコミなどで「ベトちゃんドクちゃん」の愛称で呼ばれた。

 2人はベトナム中部高原のコントゥム省で生まれた。この地域はベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域である。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれた。母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだという。母親は2人をコントム病院に預け失踪。2人は1歳の時にハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院へ移され、そこからベト(越)(越南、ベトナム)、ドク(徳)(徳国、東ドイツ)と名づけられた。

 下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪あとととらえられ、日本国内で大規模な支援活動が起こった。

 1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送された。6月19日、東京の病院で手術が行われたものの後遺症が残った。

 1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。

 分離後ドクは障害児学校から中学校に入学。中学校は中退したが職業学校でコンピュータプログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ボランティア活動も行っている。一方、ベトは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続いた。

 2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエンと結婚。このことは日本でも大きく取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、そのためか簡単な日本語を話すことが出来る。また、結婚後に兄ベトを引き取り夫婦で介護していた。

 2007年10月6日1時、兄グエン・ベトが腎不全と肺炎の併発により死去。

 ベトナム戦争においてアメリカ軍は南ベトナム解放民族戦線のゲリラ戦略に対抗する為に枯葉剤を大量に使用した。この枯葉剤には副産物としてジベンゾ-パラ-ダイオキシン類が含まれていた。ダイオキシン類の一種であるTCDDはマウスで催奇形性が出ることが実験で確認されていたため、TCDDによる奇形が疑われた。しかしヒトに対する奇形性は現在でも未確認で二人が枯葉剤の犠牲者であると直接的に証明されているわけではない。

 2007年10月6日死去(享年26)