波多伸二

波多伸二(はたしんじ 本名:佐藤好昭 1937年3月23日生)
 [俳優]



 東京生まれ。日本大学芸術学部中退。俳優座養成所卒。1959年、東映東京撮影所と契約、同年に特撮テレビ番組「七色仮面」に初出演した。1960年、第二東映発足にともない“石原裕次郎に挑戦する男”というキャッチフレーズでトップスター級の扱いで売り出され、第二東映の第1回作品「危うしGメン・暗黒街の野獣」に主演。続けて「男の挑戦」「地獄の渡り者」に主演した。

 1960年3月13日、4作目の「殺られてたまるか」の撮影中、埼玉県の本田技研工場試走場でオートバイの運転を誤り柱に激突して即死した。わずか5ヶ月足らずの俳優生命であった。波多はジェームズ・ディーン」のような死に方をしたい」と常々言っていたが無論、冗談でであった。アクセルとブレーキを間違えたらしく、俳優の激務から1日3時間睡眠で過労気味だったこが事故につながったとみられる。

 波多の代役には梅宮辰夫が起用され、これが梅宮が世に出る第一歩ともなった。また、歌手志望だった松方弘樹は、波多の死による穴埋めで俳優としてデビューしたという。

 1960年3月13日死去(享年22)