D・ブーン

D・ブーン(D.Boon 本名:デニス・デール・ブーン 1958年4月1日生)
 [アメリカ・ミュージシャン]



 カリフォルニア州サンペドロ出身。D・ブーンは13歳の頃にマイク・ワットと出会い、すぐに意気投合、お互いに音楽や芸術の話をし合う仲となった。その後、2人と同じ高校に通っていたジョージ・ハーレーとマーティン・タンブロビッチの4人で「リアクショナリーズ」を結成。1980年1月、リアクショナリーズ解散後、D・ブーンとマイク・ワットによりロックバンド「ミニットメン」が結成された。2人は元々ジョージ・ハーレーをドラムス担当として考えていたが、彼はヘイ・タクシー!というバンドに既に活動していたため、フランク・トンシェをドラムス担当メンバーに加えた。しかし、パンク・ロックの観客に嫌気が差し脱退。同年6月、ヘイ・タクシー!を脱退したジョージ・ハーレーがドラムス担当として加入した。初ライブはブラック・フラッグのオープニングアクトであった。同年12月、ブラック・フラッグのギター担当であり、リーダーでもあるグレッグ・ギンの主催するSSTレコードより1st7インチEP『パラノイド・タイム』をリリース。1981年11月、1stLP『ザ・パンチ・ライン』をリリース。その後も精力的にライブツアーを続けながら作品を立て続けに発表した。

 R.E.M.とのツアー、及び5thLP『スリー・ウェイ・タイ (フォー・ラスト)』のリリースも決まり、パンク・ロックシーン外のファンも獲得しつつあった1985年12月22日、D・ブーンがアリゾナ州ツーソンの州間高速道路10号線で自動車事故に遭い、後部座席でシートベルトを装着していなかったため、車から放り出されて首の骨を折って即死した。

 D・ブーンの死に伴い音楽を続ける情熱を失っていたマイクとジョージを勇気付けたのはミニットメンのファンでもあったエド・クロフォードであった。3人は1987年にファイアホースを結成。同バンドは1994年に解散したが、その後もマイクとジョージはソロ活動や他のバンドにゲスト的に参加し、精力的に音楽活動を続けている。

 1985年12月22日死去(享年27)