ハリー・フーディーニ

ハリー・フーディーニ(Harry Houdini 本名:エーリッヒ・ワイス 1874年3月24日生)
 [ハンガリー・奇術師]



 「現在でもアメリカで最も有名な奇術師」と呼ばれるほど認知度は高く、奇術師の代名詞ともなっている。

 1891年にアメリカで出版された『霊媒術の暴露』(著者匿名)という霊媒のトリックを詳細に解説した本に書かれていた「縄抜け」のテクニックに興味を持ったことでマジシャンへの道を志す。脱出術を得意とし、各国の警察の留置場や刑務所に収監されての手錠外しによる脱出や、また凍った運河やミルク缶からの脱出を行い、話題となった。

 「フーディーニに脱出できない所は無い」「不死身の男」「脱出王」と大規模に宣伝するなど、マスコミを利用した売り込み技術はずば抜けた才能があり、当時のアメリカのトップスターとなった。

 1926年10月22日、モントリオールプリンセス劇場の楽屋に訪れたマギル大学生のジョセリン・ゴードン・ホワイトヘッドという大学生に「腹部を強く殴られても平気」という芸を見せる際、フーディーニが準備していない段階で殴られたことが原因の急性虫垂炎を発症、数日後虫垂が破裂し、びまん性腹膜炎で10月31日に死亡した。しかし、現代医学ではこの死因は、不自然であることが明らかになっており、毒殺による死亡説も唱えられている。

 フーディーニは、当時大流行していた心霊術に対して、「死者と話ができるというのは、まやかしだ」と述べ、霊媒師の嘘をあばこうとしたため恨みを買っていたといわれている。

 葬儀に参列したフローレンツ・ジーグフェルドは、棺の前で「賭けても良いが、彼はこの棺の中にもういない!」と言ったという。

 1926年10月31日死去(享年52)