ケイ・セージ

ケイ・セージ(Kay Sage 本名:キャサリン・リン・セージ 1898年6月25日生)
 [アメリカ・画家/詩人]



 1898年、ニューヨーク州のオールバニで、裕福な家庭の次女として生まれる。セージはバージニア州のフォックスクロフト・スクールに進学、そこで美術収集家のフローラ・ペイン・ホイットニー(ホイットニー美術館創立者)と知り合い、生涯の友人となる。美術学校に進学するために、1920年代初頭にイタリアのラパッロに移住。そこで小説家のラニエリ・ディ・サン・ファウスティーノと出会い、1924年に結婚。しかし、裕福な夫の婦人でいることに不満を抱き、結婚からおよそ10年後に離婚。より芸術的な志を追求し始め、フランスを訪れてシュルレアリスムの運動に参加した。

 1937年ごろ、セージは彫刻家のハインツ・ヘンゲスから、後の夫である画家イヴ・タンギーを紹介された。その後第二次世界大戦が勃発し、セージはすぐにアメリカへ帰国、タンギーを含むフランスの画家仲間をアメリカに避難させる準備を進めた。1940年8月17日、セージとタンギーはネヴァダ州のリノで結婚。第二次世界大戦が終戦を迎えると、二人はコネチカット州のウッドベリーに家を構え、そこを仕事場にした。1955年、タンギーの突然の死(脳卒中)にセージは大きなショックを受け、手がける作品数も目に見えて減少した。そんな中彼女は、亡き夫タンギーの作品をまとめた目録を編集、8年がかりでタンギーの全作品463点をまとめた目録を完成させた。

 1959年、セージは最初の自殺を試みるが失敗、未遂に終わった。セージは誰とも付き合いをしなくなり、1963年1月8日(タンギーの誕生日の3日後)にピストルで胸を撃って自殺を図り、死亡した。セージの遺灰は、友人のピエール・マティスによって、タンギーの遺灰と共にブルターニュ半島の海岸にまかれた。遺書により、作品のすべてはアメリカの美術館に寄贈され、収集していた絵画作品100点および莫大な遺産はそっくりニューヨーク近代美術館に寄付された。

 1963年1月8日死去(享年64)