丸木スマ

丸木スマ(まるきすま 1875年1月2日生)
 [画家]



 広島県生まれ。22歳で結婚し、家業の船宿をしきりながら畑仕事という忙しい日々を送っていたが、1945年に広島市への原子爆弾投下により爆心地から2.5km離れた自宅で被爆。自身は助かったが、夫や親戚を亡くした。

 戦後、70歳を過ぎたスマは、「原爆の図」を描いたことで知られる、長男で日本画家の丸木位里・俊夫妻の勧めで絵を描き始め、1949年から各種美術展に出品。その天衣無縫で奔放な作風は画壇に認められ、女流画家協会展や日本美術院展などにも次々と入選し、「おばあちゃん画家」として有名になった。1953年には3年連続で院展に入選して、日本美術院院友に推挙された。

 1956年に81歳で亡くなるまでの数年間に、動植物や山・川など、自然や生命の本質を鋭くとらえた作品を数多く描き続けた。

 1956年11月14日、丸木位里・俊夫妻がアムステルダム留学中、原爆の絵の展覧会を手伝ったことで知り合った画家見習いの青年が留守宅に上がり込み、留守番をしていたスマの頭をナタで滅多打ちにして殺害。青年は事件の数日前にスマの院展に入選したばかりの作品数点を盗み、知人に売り払っており、窃盗目的の殺人と見られている。事件発覚後、青年の遺体が神奈川県横須賀市長者ヶ崎の岸壁で発見され、飛び込み自殺したとされている。

 1956年11月14日死去(享年81)