デビッド・フォン・エリック

デビッド・フォン・エリック(David Von Erich 本名:デビッド・アレン・アドキソン 1958年7月22日生)
 [アメリカ・プロレスラー]



 テキサス州ダラス出身。フリッツ・フォン・エリックの息子(三男)。高校ではバスケットボールのスター選手であり、アメリカンフットボールの選手でもあった。ノーステキサス州立大学に進学するも、レスラーになるために退学。1977年にデビューした。1979年5月に全日本プロレスに初来日。1981年5月の再来日では兄ケビンとのタッグでグレート小鹿&大熊元司からアジアタッグ王座を奪取したが、シリーズ中に石川隆士&佐藤昭雄に破れ短命王者に終わった。

 次期NWA世界ヘビー級王者の最有力候補とされ、ハーリー・レイスやリック・フレアーに何度となく挑戦。1983年9月16日にはセントルイスのキール・オーディトリアムでフレアーを破り、NWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得した。地元ダラスのWCCWではエース格として活躍し、看板タイトルのテキサス・ヘビー級王座には、ブルーザー・ブロディ、ジノ・ヘルナンデス、マーク・ルーインらを下し通算8回に渡って載冠している。

 1984年2月、UNヘビー級王座を携え来日。天龍源一郎の挑戦を受ける予定であったが、2月10日に宿泊先の都内ホテルで急死。死因には諸説あるが、急性胃腸炎と公表された。その早すぎる死が惜しまれたレスラーであった。

 1984年2月10日死去(享年25)