オクタヴ・ラピーズ

オクタヴ・ラピーズ(Octave Lapize 1887年10月24日生)
 [フランス・自転車競技選手]



 モンルージュ出身1907年、シクロクロスとロードレースのアマ・フランスチャンピオンに輝く。1908年のロンドンオリンピックで、トラックレースの100kmレースに出場し銅メダルを獲得。1909年にプロへ転向。同年のパリ~ルーベを制した。1910年、パリ~ルーベを連覇。同年のツール・ド・フランスでは第5、9、10、14ステージを制する活躍ぶりを見せ、第13ステージ終了後、前ステージまで総合首位だったフランソワ・ファベールを交わして総合首位に立ち、最後は4ポイント差という僅差ながらもファベールを退けて総合優勝を果たした。なお、現在のツール・ド・フランスにおいても定番の難所として知られる、ピレネー山脈中央部に位置するツールマレー峠が1910年からコースに組み入れられたが、ラピーズは初代の首位通過選手であり、その記念碑がツールマレー峠にある。また、1911年のパリ~ルーベも制し、同レース史上初の3連覇を達成したが、その後同レースで3連覇を達成したのは、フランチェスコ・モゼール(1978年~1980年)だけである。さらに同年から1913年まで、フランス国内選手権・個人ロードレースにおいても3連覇を達成した。

 1914年のツール・ド・フランスに出場の後、第一次世界大戦が勃発。ラピーズはフランス空軍のパイロットとして従軍したが、1917年6月28日、ムルト=エ=モゼル県のフリレイ付近で襲撃に遭い重体。同年7月14日他界した。

 1917年7月14日死去(享年29)