ナンシー関

ナンシー関(なんしーせき 本名:関直美 1962年7月7日生)
 [版画家/コラムニスト]



 青森県生まれ。小学校に入学してから急に太り始めたため、心配した両親は病院を受診させるが、結果は「異常なし」だった。図工・美術の成績は小学生時代からほとんど5で得意クロッキーやデッサン。手先が器用でパラパラマンガを描いたり、消しゴムに文字を彫るのが抜群にうまく、クラスメイトたちから注文が殺到した。

 中学校を経て、カトリック系ミッションスクールの青森明の星高等学校に進学。『ビックリハウス』『宝島』『STUDIO VOICE』などサブカルチャー系の雑誌を読み漁り、YMOやムーンライダーズのファンになる。将来は無根拠に東京に出ることを確信していた。1981年、高校卒業。 大学受験に失敗して上京。高田馬場の早稲田予備校に通う。

 1982年、法政大学第二文学部日本文学科に入学。11月に広告批評主宰「広告学校」に入学。コラムニストのえのきどいちろうに見いだされ、消しゴム版画イラストレーターとして各誌で活動開始。後に「ナンシー関」の名付け親となるいとうせいこうに認められ、コラムニストとしてデビュー。

 テレビ番組をはじめとする様々な媒体における芸能人・有名人の発言や態度を自身のコラムの題材とした。シニカルで軽妙な語り口で書かれる辛辣かつ愛情に満ちた芸能界への視点にはファンも多く、業界関係者にも生前から高く評価されていた。

 自筆コラムの挿絵として、テーマとなる著名人の似顔絵を消しゴム版画で製作した。シンプルでありながら特徴を掴んだ写実的な絵柄と、どのようなペンとも異なる新鮮なタッチ、いかにも本人がコメントしそうなネームが独特であった。

 1995年夏、祐天寺にマンションを購入、一人暮らしをはじめる。しかし、締切に追われ、1日に20~30本のショートピースを吸い、ストレスを飲み食いで発散する生活は確実に彼女の体を蝕んでいた。1990年代半ばごろから少し歩くだけで息切れするようになり、体型も若いころより大きくなっていた。いとうせいこうはナンシーが亡くなる数年前から酒やタバコを控えるように忠告していた。

 2002年6月11日の夜、友人と中目黒の飲食店で食事後、10時ごろ一人でタクシーに乗り、祐天寺のマンションに帰宅する途中意識を失う。タクシーの運転手が駅前交番に駆け込み通報、救急車で東京医療センターに搬送されたが、12日午前0時47分死去。行政解剖の結果、死因は虚血性心不全と判明。16日、ナンシーの実家近くの寺院で行われた葬儀は、黒柳徹子、ビートたけし、坂本龍一、宮部みゆきなどの著名人をはじめ数えきれないほどの弔花が並ぶ、盛大なものだった。遺骨は関家の菩提寺である夢宅寺の墓に納められた。

 2002年6月12日死去(享年39)