大谷友右衛門 (6代目)

6代目大谷友右衛門(おおたにともえもん 本名:青木八重太郎 1886年6月1日生)
 [歌舞伎役者]



 東京生まれ。歌舞伎役者中村鷺助の子として生まれる。父が下回りの役者だったことから幼くして歌舞伎の世界に入り、5代目中村歌右衛門に入門。1891年、浅草座で中村翫兵衛を名乗って初舞台。1898年6月に中村翫、翌年1月に初代中村おもちゃと名乗り、初代中村吉右衛門や初代助高屋小傳次らの子供芝居に出る。

 1902年6月、市村座において中村駒助を襲名。次第に才能が認められ1911年11月歌舞伎座『鎌倉武鑑』で5代目中村東蔵を襲名。そして1920年4月に6代目大谷友右衛門を襲名した。

 門閥外から幹部に出世した努力の人で、律儀な性格を反映した手堅い芸風と、多くの役をそつなくこなす器用さが持ち味だった。主に6代目尾上菊五郎の舞台を勤め、『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」の春藤玄番、『神霊矢口渡』の頓兵衛、『雪暮夜入谷畦道』(三千歳と直侍)の丈賀、『怪談牡丹灯篭』の志丈、『仮名手本忠臣蔵』「九段目」の本蔵、『伊賀越道中雙六』「岡崎」の幸兵衛、『本朝廿四孝』「筍掘り」の老女越路、『平家女護島』「俊寛」の瀬尾太郎などの丸本物や世話物のほか、新歌舞伎『巷談宵宮雨』の太十などが冴えた。

 1943年9月10日、巡業先の鳥取で鳥取大地震(M7.2、震度6)に遭い、楽屋として使っていた家屋が倒壊して圧死。死の直前に大谷宗家継承が内定しており、葬儀に際し継承式が未亡人に対して行われた。

 1943年9月10日死去(享年57)