ヘレン・ホーキンソン

ヘレン・エレナ・ホーキンソン(Helen Elna Hokinson 1893年6月29日生)
 [アメリカ・漫画家]



 イリノイ州メンドータ生まれ。彼女は美術アカデミー(現・シカゴ美術館付属美術大学)で勉強し、シカゴでマーシャルフィールズ百貨店のようなデパートのフリーラアンスのファッションイラストレータとして働いていた。1920年、ホーキンソンはニューヨーク市に移住し、主として風景画を描いていたが、1925年にスケッチを「ザ・ニューヨーカー」の編集長ハロルド・ロスに認められ、この雑誌に人物風刺画を掲載できるようになった。次第に人気者となって、のちには年間4万ドルを稼ぐまでとなった。1930年代には「レイディズ・ホーム・ジャーナル」にも寄稿するようになり、画集も刊行された。

 ホーキンソンは1949年11月1日に、ワシントンでの講演を依頼されて、ニューヨークを発ったが、ワシントン国内空港でのイースタンエアーライン537便の空中衝突事故によって死亡した。彼女は数多くの漫画を残し、それらの多くはその後の月にザ・ニューヨーカーによって発刊された。

 1949年11月1日死去(享年55)