ゴットフリート・フォン・クラム

ゴットフリート・フォン・クラム(Gottfried von Cramm 1909年7月7日生)
 [ドイツ・テニス選手]



 ハノーファー出身。ドイツが生んだ戦前最大の男子選手であり、1930年代の男子テニス界に君臨した名選手のひとりである。1934年と1936年の全仏選手権で2勝を挙げたが、ウィンブルドン選手権では1935年から1937年まで3年連続の準優勝に終わった。ドイツの「男爵(The Baron)」と呼ばれたフォン・クラムは、身長183cmの長身と、金髪に青緑色の目をした高貴な顔立ちで貴族的な雰囲気を漂わせていた。

 1938年からナチス政権が台頭する中、フォン・クラムはナチズム擁護を拒否したことと同性愛によりゲシュタポに逮捕された。前年に離婚した妻がユダヤ系銀行家の孫であった上に、愛人(男性)もユダヤ人だった。ナチス政権の崩壊により、終戦後に自由の身となったフォン・クラムは、1951年に14年ぶりにデビスカップのドイツ代表選手に復帰する。44歳を迎える1953年まで代表選手を務めた。その後は1955年に長年の友人だったアメリカの大富豪バーバラ・ハットンと結婚し社交界に話題を振りまいた(1959年離婚)。

 1976年11月9日、エジプトの首都カイロ近郊にて、自動車事故のため67歳で死去した。翌1977年に国際テニス殿堂入りを果たしている。

 1976年11月9日死去(享年67)