広瀬伸哉

広瀬伸哉(ひろせしんや 1971年生)
 [東大受験生]



 高知県出身。1990年、日本テレビの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「勉強して東大に入ろうね会」という企画へ大学浪人一浪をしたときに参加。第一期「勉強して東大に入ろうね会」の中で広瀬だけが不合格。第二期「勉強して東大に入ろうね会」で再チャレンジするも不合格。

 その後、慶應義塾大学に入学し、在学中の1991年に『広瀬くんの失敗しない受験術』を執筆。その後も「元気が出るテレビ」では、1991年8月4日放送の回で入学後の広瀬がクラブでナンパして遊びまわっている噂を検証する企画を放送したり(デマが結論)、1996年に番組が終了する際には、番組が生んだ人気キャラクターの1人として顔を出し、近況を視聴者に報告した。大学卒業後、東京都で広告代理店を起業したが、東大を諦め切れず社会人となりながらも、東大受験をし続けた。

 1999年3月7日、岩手県の雫石スキー場でコース脇の立ち木に激突し、頭の骨を折るなどして死亡した。広瀬はスキー歴約10年で、事故当時は上級者用のコースを滑っていた。

 その死はスポーツ報知や日本テレビのワイドショーなどで伝えられた。なお、広瀬の葬儀には「勉強して東大に入ろうね会」で彼を応援していた高田純次が参列していた。素人出演者のなかでも特にメーン扱いとなった広瀬は高田に受験勉強を邪魔される等毎回格好のイジラレ役であった。1991年3月17日放送の最終回で、2浪目の東大合格発表を見に行き、出演者中広瀬だけが不合格という結果に終わる。号泣しながら高田の元へ戻ってきた広瀬に高田は普段のテキトーな姿を一切見せることなく、ポケットに片手を突っ込みただ黙って彼の肩を抱き涙を流した。当時の人気番組レギュラーとして既に「テキトーキャラ」が浸透していた高田純次が、初めてブラウン管で見せた素の姿は視聴者に強い印象を残した。

 1999年3月7日死去(享年28)