ドミニク・ダン

ドミニク・エレン・ダン(Dominique Ellen Dunne 1959年11月23日生)
 [アメリカ・女優]



 カリフォルニア州サンタモニカ出身のアイルランド系。母は裕福なアリゾナの大牧場の娘、父も裕福な資産家の息子で映画プロデューサー、叔父は脚本家のジョン・グレゴリー・ダン、義叔母は文筆家のジョーン・ディディオン、兄が2人おり、一人は『マイ・ガール』のグリフィン・ダン。父方の曾祖父はアイルランドから移民して八百屋業から銀行の経営者に登りつめた成功者で、祖父も有能な外科医として病院長を務めていた。父親の兄弟はすべてハーバード、プリンストン、イエールなど名門大学に進学し、裕福なワスプ社会に暮らす一族だった。

 両親の離婚後、ロサンゼルス市内のビバリーヒルズに引っ越す。父親と叔父夫婦は共同で映画会社を経営していたが、喧嘩別れしたあと、叔父夫婦が脚本を書いた『スター誕生』が大ヒットしたため、嫉妬に苦しんだ父親は酒浸り・薬漬けになり、ドラッグ売買の罪で逮捕された。

 ドミニクは1972年にテレビ映画『ヒッチハイク・ギャル/危険な17才』でデビュー。出演作『ポルターガイスト』の公開直後の1982年11月4日、ウェスト・ハリウッドの自宅で交際相手に絞殺され、22歳で死去した。ポルターガイストの成功により、テレビドラマシリーズ『V』に出演する事が決まった矢先の出来事であった。

 ドミニクを殺害した犯人はレストランの副シェフで、1981年に知り合い、一時は彼女と同棲していた。しかし独占欲が強く、ドミニクに暴力を振るようになったため、ドミニクが別れを切りだし、2人は同棲を解消した。しかし、男は復縁を迫ってドミニク宅を何度も訪れ、1982年10月30日、男優と自宅で稽古中だったドミニクと口論になり、首を絞めた。ドミニクは5日間のこん睡状態の後1982年11月4日に死亡した。

 犯人に懲役6年半の有罪判決が出たが、3年ほどで出所した。判決を不服とした両親は、犯人が出所後もしばらく行き先を調査しつづけた。犯人は再び料理人として働きはじめたが、ドミニクの父親の通報によってクビになったため、以後、名前を変えて暮らしているという。 

 1982年11月4日死去(享年22)