一條久子

一條久子(いちじょうひさこ 本名:赤岡ひさ子 1904年9月18日生)
 [女優]



 山梨県出身。1917年、浅草の御国座でデビューし、アサヒ歌劇団を代表するスター。チャボの愛称で親しまれた。演技力の高さ、人柄の良さから多くの仲間やファンに愛され、数々の舞台で主役を演じたが、1919年に突然の退団、小生夢坊が主宰していた東京オペラ座へと移籍し、地方をまわる日々をおくった。

 1920年、東京少女歌劇団の京都公演中に16歳にして鉛中毒で死亡。人気者の突然死に多くのオペラファンが悲しみ暮れた。かつて白粉(おしろい)に鉛白が使用されていた時代は、鉛中毒により、胃腸病、脳病、神経麻痺を引き起こして死に至る事例が多発し、また日常的に多量の鉛白粉を使用する役者は、特に鉛中毒の症状が顕著であった。


 1920年11月7日死去(享年16)