吉村操

吉村操(よしむらみさお 本名:高松操 1905年生)
 [映画監督/脚本家]



 1905年、のちにタカマツ・アズマプロダクションを創立する映画プロデューサー、高松豊次郎の三男として生まれる。当時、高松は台湾と日本を往復しており、出生地は不明である。関東大震災後、20歳になる1925年、「マキノ東京派」のひとりとして監督デビュー。1930年、河合映画製作社移籍後に仕事上「吉村」姓に改名、ひきつづき大都映画でも映画を量産した。

 1945年3月10日、東京大空襲により、浅草の自宅で死去した。

 1945年3月10日死去(享年39)