高橋惠子

高橋惠子(たかはしけいこ 本名:関根恵子 1955年1月22日生)
 [女優]



 北海道出身。父は標茶町で小規模な牧場を営んでいたが、子牛の死産と同時に母牛も死んでしまい、牧場経営を絶たれ、借金だけが残った。そのため小学校2年生の時に父は帯広市で保険外交員に転職し、母は住み込みによる宿泊業の仕事を得て恵子と釧路市へ移った、その後は5年生で父の転勤により斜里町へ移るも、もともと歌手を目指していた父の『娘を東京で育てたい!(文化的な意味合いで)』との希望により、6年生の途中で一家揃って東京都町田市へ落ち着く事となる。中学校時代から持ち前の大人びた容貌で芸能スカウトの目に留まり、2年生の時に大映のスチールカメラマンにスカウトされ、若かりし頃より浅草などの興行に慣れ親しんだ父の大賛成もあり、中学を卒業するまでの1年間、大映の研修所へ通い演技のレッスンを積み、翌1970年春の中学卒業と同時に大映へ入社。

 デビュー作品は当初『おさな妻』で決定していたが、各方面への挨拶廻りで高い注目を集めたことから先に『高校生ブルース』を撮影する運びとなったこうして本名である関根恵子の芸名で、1970年8月封切の『高校生ブルース』で主演デビューを果たす。妊娠する女子高校生という当時としては衝撃的な役を演じ、ヌードだけではなく、白いパンティに透けたアンダーヘアや、透け透けのネグリジェ姿を披露するなど、15歳とは思えない大胆な演技で、話題を集める。さらに同年『おさな妻』でゴールデンアロー賞新人賞受賞。15歳にして名実ともに大映末期の看板スターとなった。

 1971年11月末に大映が倒産したことにより東宝へ移籍、翌1972年からは東宝と日本テレビが共同制作していたテレビドラマ『太陽にほえろ!』にレギュラー出演する。

 1973年の映画『朝やけの詩』に主演。映画の冒頭、湖を全裸で泳ぐシーンで、あまりに湖水が鮮明過ぎてヘアーが見えてしまい、撮り直しになったというエピソードもある。以後も数多くの作品に出演。

 1975年に雑誌の対談で作家の河村季里と出会い、恋愛関係になる。1977年、睡眠薬自殺未遂で騒動となる。関根は結婚願望があったが、同棲中の河村と結婚に関して考え方にズレがあり、それに悩んだ末に睡眠薬を大量に服薬して自殺を図った。河村の発見がもう少し遅かったら危険なところだったという。

 1979年、河村との海外雲隠れ騒動などで再びマスコミを騒がせ、一時芸能界引退を決意するが、翌1980年に芸能界復帰会見を開き活動を再開した。1982年に映画監督の高橋伴明と結婚、同時に芸名も高橋姓に改名。以後は大人の落ち着きある女性の役柄を数多くこなしている。