富田昌子(とみたまさこ 1913年生)
[自殺の同伴者]
三原山は連日の新聞報道の余波で、一躍、自殺の名所に躍り出る。三原山の火口には自殺志願者と見物人が殺到し、霊岸島から大島へ向かう船は1日150人ほど、休日には1500人近くもの客を乗せ、2日に1人は自殺志願者が島で保護される始末となった。中には見物人が「誰か飛び降りる者はないか」と冗談で言ったところ、「俺が飛び降りる」と言って火口に消えたりなど、多くの見物人の目の前での自殺が結構あったという。
一方で2件の自殺の立ち会い人となった富田は世間から「変質者」「狂人」といった罵倒が浴びせられるようになった。そして、スキャンダラスな報道の標的から逃れるように埼玉県の実家で寝込んでいたが、4月29日に変死を遂げた。世間の非難を気に病んでの自殺とも、持病が悪化したためともされる。
なぜ二度も親友の自殺に立ち会ったのかは、富田の変死と共に闇に消え、三原山に付いた自殺の名所という名前だけが残ってしまった。三原山火口への自殺者はこの年だけで少なくとも944人(男性804人、女性140人)に及んだとされる。
1933年4月29日死去(享年20)